こば紀行#40 美濃赤坂(後編)

このコーナーでは、浜松から日帰りで行けるプチ観光スポットをご紹介しています。

第40回目、美濃赤坂(後編)

美濃赤坂駅は東海道本線の支線終着駅であると共に、西濃鉄道という貨物線に接続している。境内の中を列車が通るという石引神社はこの西濃鉄道沿線にある。確かに、広大な終着駅から古い町並みの中へ、ヨタヨタと延びる1本の線路がある。この線路を追いかけ、自転車で北上する。赤坂は旧中山道の宿場町だったらしく、町並みは今もその面影を残している。その町並みの中、線路は延びる。踏切はあるが、大半は信号も遮断機もない。お茶屋さん専用の踏切があったり、踏切を渡るとそのまま玄関先という民家まである。外構で踏切を備える家なんていかにも贅沢に見えるが、踏切を渡らないと自宅に辿り着けないと思うと若干気の毒でもある。

ちょっと普段では有り得ない光景を目にしながら、5分も走ると目的の石引神社に辿り着く。確かに神社境内、2つある鳥居の真ん中を線路が走っている。当然、信号も遮断機もない。あるのは「止まれ見よ」との注意書きだけだ。よく見るとその下に貼紙がある。その貼紙には手書きで次の様に記されていた「いつもの時間に貨物列車が走行します」。いつもの時間っていつだよ…しかし、この町ではこれで十分に通じるらしい。暗黙の了解というやつだろう。これで万事物事が通じるのであれば世界は平和なのだろうが、そんな世界はおそらくここだけだ。そんなことを考えているうちにお目当ての列車が来た。

巻だ…

列車が通る瞬間を撮り損ねまいと、だいぶ前からスマホを構えていたが、そんな心配をよそに驚くべき低速で目の前を貨物列車が通過して行く。自転車と同じかそれ以下のスピード感で、この列車に飛び込んでも死ねない自信がある。ふと、貨物車両の全てに矢橋工業株式会社と記されていることに気づく。そして、線路の先が気になりさらに北上すると、この会社の工場が現れる。貨物列車はここから石灰石を運んでいたのだ。西濃鉄道で運ばれた石灰石は、美濃赤坂駅でJRに引き継がれていく。石引神社という名の由来は、古く江戸時代から石灰石を採掘し輸送する人々の姿から来たのかもしれない。

食事をとるべく今度は美濃赤坂駅の南へ走ると、またもや別の線路が西へ延びていることに気づく。また、駅南西の小高い丘から矢橋工業の背後にあった山、金生山に目を遣ると、その山肌はガリガリに削り取られている。町はこの金生山を囲むように西濃鉄道、昼飯線と市橋線が延び、沿線沿いに石灰石の採掘工場が建ち並んでいたのだ。1928年に開業した西濃鉄道2線のうち昼飯線は2006年廃線、代わりに現在は大型ダンプカーが辺りを行き交っている。この町は金生山を中心に石灰石の採掘で栄え、鉄道網がそれを支え、そして今その役目を終えようとしている。何気ない風景には、それぞれに意味と歴史が刻まれている。そんな小さな気づきを忘れない人でありたい。(昨日の会議を忘れていたこばやし)