民事信託が向いているケース

本年度から、「叶」は民事信託を中心に、その周辺の事柄も紹介していこうと考えております。ここまで、任意後見や死後事務委任契約などを機関紙「想い叶う」で紹介してきました。 このように紹介している趣旨は、「何でもかんでも民事信託」というわけではなく、様々な法制度を比較検討し、皆さんに最適な制度を選択していただきたいと思っているからです。

それぞれの法制度にはそれぞれに適した場面があります。民事信託も同様です。本日は、「このようなケースでは民事信託」というのを一つご紹介したいと思います。

しかし、賃貸アパートのような建物は、老朽化の場合はもちろん、台風等の床上浸水などで被害に見舞われた場合にも大きな修繕費用の発生が見込まれます。このとき、後見制度を利用していると、手元の現金で費用を賄えない限り、賃貸アパートの修繕をすることができなくなります。結果として、賃借人が離れてしまい、収益が悪化するおそれが生じてしまいます。 この点、民事信託は借入行為も信託条項に含めれば可能となりますから、賃貸アパートの管理という面での不安はかなり軽減されます。収益面での悪化も防ぐことができ、安定した老後を送ることができるということになります。

民事信託が適切であると思われるケースは、「借入れ」を検討している場合です。典型的なのは、賃貸アパートの大規模修繕での「借入れ」です。

成年後見であれ任意後見であれ後見制度を利用していると、本人を債務者とする借り入れはできないと考えていいと思います。浜松の家庭裁判所では、後見人なる方に家庭裁判所が作成した誓約書に署名することを求められますが、その誓約書には「借り入れをしない」といった項目があります。この点は、後見制度の理念から考えてある意味仕方がないなぁと個人的には考えております。

こば紀行#99 信州縦断②

このコーナーでは、浜松から日帰りで行けるプチ観光スポットをご紹介しています。

第99回目は信州縦断②

前回までのあらすじ~野辺山高原でほんとの自分を見つけるはずのこばやしだったが、牧場ソフトですっかりご満悦になってしまい、本来の目標を見失ったまま旅路に戻る。野辺山駅を含む小海線は終点小諸まで全30駅、そのすべてに止まったあとのその後。

~上田城~

小諸から上田まではしなの鉄道の路線区となる。JRは北陸新幹線のみ。上田城は言わずと知れた戦国武将真田昌幸築城の平城。1585年の第一次上田合戦、1600年の第二次上田合戦でも東軍に合流するはずだった徳川秀忠の大軍を足止めた、ザ・徳川キラーの名城だ。夕日に映える赤兜が切ない。

~別所温泉~

上田市街から上田電鉄に乗り換え30分、その終点にある。数多くある信州の温泉でも最古のもの。温泉街に近接するように北向観音や安楽寺といった古刹があることから「信州の鎌倉」と呼ばれている。お湯は草津温泉っぽく硫黄の香り。「大湯」「大師湯」「石湯」の3つの共同浴場がある。秘湯感で言えば先の下部温泉の方があるし、温泉街としても下呂や草津ほどの賑やかさはない。

~善光寺~

最終日の昼になってもまだ長野に向けて北上する今回の旅。ここまで来たら善光寺参りということで訪れる。長野駅からバスで10分、徒歩だと30分。参拝した帰り、ちょうどボス住職が参拝客の頭を撫で撫でする行事があったのでこばやしもその長蛇の列に紛れて頭を撫で撫でしてもらう。これで俺の人生にも何か光明があるか?とも思ったが、11月20日現在、いまだこばやしの人生に何ら変化はない。

~いむらや~

善光寺近くの繁華街、権現通りの裏の方にある中華料理屋。長野のソウルフード、あんかけ焼きそばの有名店。表通りのそば屋はほぼ観光客しかいないだろうがこの店の客層はほぼ地元客と思われ、そのほとんどが名物あんかけ焼きそばを頼んでいる。570円でこの量感、コスパはすごい。ただ、この甘すぎるあんかけはいかがなものか…卓上にある酢からしをかけて味変を試みるも失敗に終わる。長野の食文化に馴染むには、まだまだ修行が足りないようだ。

~帰路~

長野駅を出たのが14時過ぎ、ここから鈍行で浜松に帰る旅程は左図のとおり。ただの苦行でしかない。(信州縦断編、完)

よくある相談

知り合いの金融機関から相談がありました。相談内容は以下のとおりです。

「とあるお客さんが、自分の祖父の土地で使っていない土地があるから、その土地に住宅ローンを組んで家を建てようと計画しています。ただ、金融機関としては、土地の所有者に住宅ローンの保証人になってもらったり、土地を抵当に入れてもらわないと住宅ローンを貸せないのですが、祖父は認知症らしいのです。裁判所で祖父の後見人を選任すれば、祖父に住宅ローンの保証人になってもらったり、祖父の土地を抵当に入れられますか?(そうしないと孫が家を建てられないのですが・・・)」

超高齢化社会に突入し、この手の相談を頂くことが非常に増えました。祖父母や両親が所有している土地に自宅を建設する方は非常に多く、土地資金がなくても家を建てられることが自宅を建設する上で大きなメリットとなっているのだと思います。

認知症になり自分で手続きできなくなった方の場合、後見人を選任されると、その後見人が裁判所の監督の下、財産を管理したり、契約手続きを行うことになります。しかし、後見人だから何でもできるわけではなく、『本人(認知症の当事者)のための財産管理であること』、『現状維持』が原則となります。この『本人のため』という点については厳格に考えられており、家族全体の幸せとは明確に区別されて考えられます。その手続きを行うことにより、どれだけ本人にメリットがあるのかを説明できない限り、後見人として手続きを進めることはできません。

今回の場合でヒアリングしたところ、建築予定の自宅に祖父は住まず孫のみが住む家であり、祖父は土地を無償で使用させるのみ。なおかつ孫の保証人になったり土地を抵当に入れるというもので、とても祖父にとってメリットがあるものではありませんでした。このようなケースでは、祖父の後見人を選任してもらったとしても、当初の目的である「家を建てるための保証人になってもらう(土地を抵当に入れてもらう)」のは非常に困難です。

こういった事案でも、祖父が元気なうちであれば、喜んで協力してくれることが多いと思いますが、認知症となり意思を表明できなくなってしまってからでは、どうすることもできません。高齢化がさらに進めば、このような相談は増え続けると思いますので、事前の対策の重要性を感じました。

事例検討会

 数年前から、浜松市周辺の地域包括支援センターの職員さんや福祉関係の相談員さんを招いた事例検討会を開催しています。

ご存知の方も多いと思いますが、地域包括支援センターは概ね中学校区にひとつ設置されており、地域内に暮らす高齢者の日常生活の支援に従事しておりますので、日頃から高齢者が抱える借金、成年後見、悪質商法トラブルなどの法的問題を察知できる立場にあります。そこで、毎回テーマを設けてさまざまなトラブルを法律や裁判手続を利用していかに解決に導くかという視点で意見交換をしています。

 私たちからの情報提供だけでなく、私たちが参加者の皆さんから勉強させてもらうことも多いほか、互いに相談者を紹介し合うことにより早期の問題解決にも役立っています。

 前回の事例検討会の出席者からは、次のような相談が寄せられました。

「自宅で独居生活をされている70代の男性の件。まだ頭も体もしっかりされている方とのこと。子供は男二人でいずれも市内で暮らしています。このうちの長男から地元の地域包括支援センターに『二男が父の預金を使い込んでいる』『父の言動からは虐待の事実も察せられる』との相談が持ち込まれたようです。地域包括支援センターとしては、虐待が事実であれば対応することができますが、預金の使い込みについては、父親の判断能力がしっかりしている状況にあっては対応の仕様がない」とのことで、困惑されておりました。

 このようなケースは、しばしば耳にしますよね。

 後見制度では対応できないケースですが、このブログの読者であればすぐに「信託」の利用を思い浮かべることでしょう。

 そこで、次回の事例検討会では、まだまだ一般にはなじみの薄い(というか、全く知られていない)信託の概要と活用例をご紹介し、元気な高齢者の財産管理にご活用いただこうと考えています。

 このような取組みを通じて、少しずつ実績が積みあがっていくことを期待しています。

(中里)

認知症患者の保有財産

 今年は、相続法の改正もあり、相続や財産管理のセミナーが多く開催されています。私が講師をお受けするときに必ずお伝えする数字があります。認知症患者の増加のデータと今回ご紹介する認知症患者の保有財産の額です。すでに相当な金額になっているようですが2030年には215兆円に達するようです。GDPの4倍の額といわれています。
 このままでは、日本の経済にも影響を及ぼすと思います。
 だからこそ、お元気なうちに、民事信託等で財産の運用を次の世代に託しておくことが重要となると私は思っています。(名波)

 

後見制度について(2)

後見組織の形成は、たとえていうならば、自己の福祉を目的とする新たな会社を設立するようなものです。
どういうことかといいますと、株式会社では、株主の意思を尊重しつつも、取締役や監査役が実際の企業経営を行うように、
後見組織では、本人の意思を尊重しつつも、後見人が実際の財産管理・運用を行うことになります。
複雑なガバナンス(企業統治)のしくみを備える会社と同様に、後見のしくみは、相続に劣らず複雑であり、難解といえます。その難解さゆえに、その利用の仕方を一歩間違えると本人の福祉をかえって悪いものにしてしまうこともある制度ともいえます。 (本木敦)