車での移動中皆さんは何をしていますか?

本木敦です。

車での移動中皆さんは何をしていますか?

私は,運転に集中することはもちろんですが,長時間となると少し退屈を感じてしまうことがあります。

このため,司馬遼太郎さん,手塚治虫さんの講演や,夏目漱石さん,松本清張さんの作品の朗読を聞くことがあります。

これらの講演や朗読のCDを浜松市の図書館で借りています。

移動の時間が楽しくなることがあります。

信託契約書の印紙はいくら?

信託契約書の内容を考えていると、いろいろな状況が頭に浮かび、どのような条項にするのか等を悩みます。

各条項の整合性も気になるところです。そうした中、やっとの思いで契約書案が完成。

でも、何かが足りない・・

あっ、そうだ。信託契約書の印紙っていくらだっけ?

「信託行為に関する契約書」200円

だそうです。(名波)

第2条 信託契約及び信託財産

+++++++++++++++++++++++++++++++
(信託契約及び信託財産)

第2条 委託者は、受託者に対し、後記「信託財産目録」第1記載の不動産(以下、「信託不動産」という)及び同第2記載の現金を信託財産として信託し、受託者はこれを引き受けた。
2 信託財産から生じる賃料、売却代金その他の運用益または果実は、信託財産に帰属するものとする(以下、前項記載の現金及び本項により信託財産に帰属するものとされた金銭をまとめて「信託金融資産」という)。
3 信託財産は、前各項の財産のほか、受託者の要請に基づき委託者または受益者が追加した財産を含むものとする。
+++++++++++++++++++++++++++++++

このあたりは、一般的な条項ですね。

2項では、アパートの賃料や売却した際の代金、預金利息なども当然に信託財産に含まれることを、注意的に明らかにしています。

3項は、受益者となる障がいを抱えたお子さんの生活状況に大きな変化が現れ、当初の信託財産だけでは生計の維持が困難な状況に至るようなケースを想定し、受託者から信託財産の追加要請をすることができる条項となります。
「受益者が追加した財産を含む」とあるのは、障がいのあるお子さんのほかに受益者がいるようなケース、例えば、父親が委託者でその配偶者も受益者に含むような作りこみをした場合などを想定しています。      (中里)

 

こば紀行#21  渥美半島

このコーナーでは、浜松から日帰りで行けるプチ観光スポットをご紹介しています。

第21回目は渥美半島どんぶり街道

以前、こば紀行の取材候補地を公募したところ、当グループのM木座長より「サンテパルク田原」にあるレストランMOGUを勧められました。今回、そこを取材すべく目指していたのですが、どうしても名称が思い出せず、間違えて「田原めっくんハウス」に辿り着いてしまいました。今回のこば紀行はこちらからスタートです。

めっくんハウスは渥美半島でも田原市の中心、国道259号線沿いにある道の駅です。当初目的だったMOGUを探しても見つからず途方に暮れていると、駐車場付近にあるプレハブ小屋で「カラクリ焼き大あさり」の文字を発見したのでフラフラと入ってしまいました。大アサリ焼きは渥美半島の名物で、10㎝以上はある大きなあさりを殻ごと焼き醤油で味付けしたものです。貝からでる汁の旨味と醤油の組み合わせが絶品です。カラクリ焼きはこの大あさりを食した後、残った出汁にご飯をのせて焼き上げるもので、うずら卵とネギ青のり等の薬味が散りばめられています。貝雑炊みたいなイメージでしょうか….大あさりの出汁をうまく活用した、究極のリサイクルメニューですので是非お試し下さい。(焼大あさり600円、カラクリ焼大あさり700円) ↓before    after→ 

とはいえ、量的にはまだ前菜みたいなものです。かえって食欲に火がついたところに観光案内所で「どんぶり街道MAP」なるものを発見しました。渥美半島にある地元飲食店を紹介するMAPで、加盟店は全部で36店舗あるようです。各店舗が大あさり、田原牛、三河ポーク等地元名物を使ったアイデア丼をメニューとして提供し、それをどんぶり街道と称して紹介しています。どれも魅惑的で悩ましかったのですが、彩りトマト麻婆丼の「地産地消レストラン日出丸」をチョイスしました(B地点)。トマト麻婆丼はトマトの酸味と麻婆の辛みが絶妙でしたが、個人的には今度食べるなら大あさり麻婆定食かなと…ただ、このどんぶり街道、他にも35店舗もあります。こば紀行でのシリーズ化はほぼ決定です。 (こばやし)

私の友人~2~

(前回の話)

私の友人~その1~

 

そこから数年後、Aから次のような連絡が入りました。「俺、来月で会社辞めるよ。」

 

メールでのやり取りの中で、地元の友人たちは、歓迎ムード一色でしたが、私は、今後の彼の再就職を考えると、非常に心配でした。

 

なぜなら、当時の社会状況は、とても不景気だったからです。実際、私が勤めていた会社も倒産処理に向けて準備を進めていましたし、出張で名古屋に行ったときには、いたるところでブルーシートを敷き詰めた浮浪者たちが生活している光景を目の当たりにもしました。

 

私は、Aに考え直してもらうよう、直接、電話を入れました。私の考えをAに伝えると「小出、ありがとう。」と言い、「実はな…」と話を続けました。

 

Aが会社を辞める理由は、前回のお話でも紹介しましたが、地元に戻りたいとの思いがありました。しかし、決断した理由は、Aの父が癌を患ったからでした。余命も宣告されたため、父親を看取りたいのと同時に、付き添っている母親が心配であるとのことでした。Aは三人兄弟の末っ子ですが、上の二人のうち一人は県外で、もう一人は県内ですが地元から離れていて、ともに家庭を築いて自宅を構えていました。対してAは当時独身で、アパート暮らしであったので、Aだけが動ける状況だったのです。

 

Aが地元に帰ってきてからは、よく遊びました。テニスサークルを作ったりして、外部の人間とも交流しました。これは、Aに看病疲れが出ないよう、気分転換の時間を過ごしてほしいと、私なりの思いがありました。

 

地元に戻って1年半後、Aから訃報のメールが届きました。通夜に伺うと、Aは晴れやかな表情で出迎えてくれました。私は「看取れたか?」と尋ねると、Aは「しっかり最後を看取ったよ。」と答えました。私は、彼が地元に戻った想いが叶ったことに、通夜であるにもかかわらず、不思議と安堵感を覚えました。

 

その後、Aは無事、再就職することができました。そこから普段通りの日常が過ぎ、Aが再就職して、最初のゴールデンウィークを迎えようとしてました。私は、何気なくテレビを見てると、夜の8時54分ごろの地元のニュースから、C子とDちゃんの名前が聞こえました。C子とDちゃんは、私とAの親友であるBの妻(C子)とその子(Dちゃん:当時2歳)でした。そのニュースが終わると、携帯にはAからの着信が鳴りました。携帯に出ると、Aにしては珍しく慌てた口調で叫んでました。「小出、ニュース見たか?」(続く)(小出)

今年度打ち上げを開催しました。

本木敦です。

 

写真が無く,文字だけで恐縮です。

先日(13日)叶うの今年度の打ち上げを行いました。

少しアルコールを含めて,ワイワイやりました。

次年度に向けて,

①信託の相談用のマニュアルのようなものを作ること

②セミナーの開催

③ホームページの充実

等々いろいろな話ができました。

更に良いサービスを提供することができるよう,叶うは研鑽を続けていきます。

 

終了後の財産の帰属先は、必ず定める必要があるの?

民事信託の契約書には、信託終了時の残余財産の帰属権利者が指定されているのが通常です。

民事信託が遺言の代用として活用されることから、財産の帰属先が書かれているのが当然といえば当然。

ただ、ふと契約書にその定めがない場合にどのようになるかが気になり、調べてみました。

信託法の第182条の第2項にしっかりと書いてありました。

契約書の中に「委託者又はその相続人その他の一般承継人」を帰属権利者として指定する旨の定めがあったものと「みなす」。

(若干、表現を変えてあります)

こういうのを「みなし規定」といいますが、契約書に書いていなくても、そのように書いてあると法律が擬制することになります。

第3項には、これでも定まらない場合が書かれていますが、通常は第2項で解決するでしょう。これで一安心。(名波)

第1条(信託の目的)

今回から始めるモデル契約書の解説コーナーです。
+++++++++++++++++++++++++++++++
(信託の目的)
第1条 本信託は、次条記載の財産を信託財産として管理、運用、処分その他本信託の目的達成のために必要な行為を行うことにより、知的障がいを抱える委託者と受託者との間の子C【受益者】の生涯にわたる安定した生活の支援と最善の福祉を確保することを目的とする。
+++++++++++++++++++++++++++++++

「親亡き後」への備えのための信託契約ですので、障がいや引きこもりなどの理由により自立した社会生活を営むことに支障があると考えられる子が将来にわたって安定した日常生活を送ることができ、必要な福祉サービスを最大限に受けられることを願い、限りある信託財産を有効活用することを受託者に託す内容となっています。

こば紀行#20 新横浜

このコーナーでは、浜松から日帰りで行けるプチ観光スポットをご紹介しています。

第20回目は新横浜ラーメン博物館

新横浜といえばラー博、私の中では新横浜の代名詞の様になっていて、司法書士になりたての研修期間中、神奈川近郊に滞在した際に足繁く通った場所です。新横浜駅から徒歩7分、浜松から新幹線で1時間ちょっとで来れてしまう程アクセスも抜群です(さすがに浜松からは足繁く通ってません)。

館内は1Fに展示物やショップなどが並び、B1F、B2Fが体感ゾーンと称して、全国各地の有名ラーメン店が9店舗程出店しています。1994年の開業時からある「こむらさき」や、「すみれ」などレギュラー店のほかに、その時々の話題性のある期間限定店が、定期的に入れ替わりで入るそうです。過去には徳島や和歌山ラーメン等もあったような…各店舗にはミニラーメンのメニューも用意されているので、色んなお店の食べ比べができます。

コンセプトは「全国各地のラーメンを飛行機に乗らずに食べに行ける」。その後の各地のフードテーマパークの先駆け的存在でもあり、尚且つ流行廃りの激しい同業界にあって、20年以上に渡り多くの人々を引き寄せるカリスマパークでもあります。今回私が訪れたのは雨の降る日曜、正午過ぎでしたが、入館までに30分、1店舗あたりの待ち時間が平均90分と、ディズニーランドを彷彿とさせる混雑ぶりでした。そろそろファストパス的なものができるものと個人的には思っています。

そういえば、浜松にも新浜松駅すぐそばに似たようなフードテーマパークがありました。私もオープン当初は「新横浜まで行かなくても食べ歩き出来る」と歓喜したものですが、気が付けばうなぎ屋ととんかつ屋だけとなり、やがて廃墟と化しました。流行に乗るのは簡単だけれども、絶えずニーズを掴み生き残るのはそんなに簡単なことではない。流行はただ乗るのでなく、自ら作り出さなきゃダメかもな…新浜松からはそんなことを学んだ気がします。(こばやし)

 

私の友人~その1~

私には、ユニークな友人が何人かいます。

その中のAという友人は、高校卒業後、東京にあこがれて上京し、なんとなしに就職してしまいました。

年末やお盆には帰省して顔を合せておりましたので、Aの東京での暮らしには、さほど心配はしておりませんでした。

 

20代半ばごろ、ゴールデンウィークの最終日である5月5日、アパートで暮らしていた私は、午前6時の呼び鈴に目を覚ましました。

「休みの朝っぱらから誰だ?」と思い玄関に出ると、そこには友人Aが、ボロボロな姿で立ち尽くしていました。

「どうしたの?」と声をかけると、「ふられた…」と一言発し、目に涙を浮かべ始めました。

彼女にふられたのは理解できましたが、ボロボロの姿が心配でしたので、再び問い直すと、

「歩いてきた…」と一言。

私は「東京から?」と聞くと、コクリと頷きました。

 

どうやら、彼女にふられて寂しくなり、2、3日ぐらい旅に出ようと歩いていたら、ふと、故郷の友人に会いたくなり、ゴールデンウィークの期間を使って、歩いてきたとのことでした。服がボロボロだったのは、公園などで寝泊まりしたからとのことでした。

 

私は地元の友人たちに声をかけ、Aのために宴を開催し、その日のうちに東京へ送り返しました。この一件以来、顔を合せるたびに「浜松へ戻りたいなぁ」がAの口癖となっていましたが、バブルが弾けた後の就職先は狭き門のため、Aだけでなく、私も含めた友人たちも、実現することはないと考えておりました。

 

そこから数年後、Aから次のような連絡が入りました。「俺、来月で会社辞めるよ。」(続く)(小出)