私の友人~5~

(前回の話)

私の友人~4~

静岡県立子ども病院に戻ったBは、そこでバイクを運転していた少年とその父親に会いました。少年は父親と共に、BとC(妻)の前で土下座をしました。

 

「この度は、大変申し訳ございませんでした。」

 

この言葉を聞いて、Bは次のように言ったそうです。

 

「君は、今、学生か?」

 

すると、少年は、

 

「はい、今年の4月から福祉系の大学に進みました。でも、今回のことで学校を辞めて働きます。そして、一生をかけて娘さんのために償います。」

 

ガラス越しから見えるD子ちゃんの様子から察したのか、それとも、病院関係者から聞いたのか分かりませんが、D子ちゃんに後遺症が残るであろうことを、少年は悟っているようでした。

 

Bは続けて次のように言いました。

 

「君は、なぜ福祉系の学校に進学したんだ?」

 

少年は、土下座をしたまま答えました。

 

「将来、福祉系の仕事に勤めたいと考えたからです。でも…。」

 

少年がしたことは、土下座をして学校を辞めれば許されるというものでは到底ありません。

普通なら、少年に対して怒りをぶつけるか、さもなくば、その場から立ち去るよう言うでしょう。私がBの立場なら、拳(こぶし)を振り上げてたかもしれません。

 

しかし、Bはそのような態度を示しませんでした。なぜなら、BはD子ちゃんの父親であると同時に、教育現場に携(たずさ)わる「教師」という側面も有していたからです。

Bは大学卒業後、Bなりの信念を持って教育現場に飛び込んでいきました。ちょうど、目の前の少年と同じような年代の少年少女と日々携わってきました。ときには、卒業生が就職した職場に、お客さんとして、それとなく様子を見に行くことあると言ってました。

今まで、若者が未来に巣立っていくさまを見てきたBにとって、自らの将来を閉じ込めようとする少年を目の当たりにしたとき、何かしらの想いがあったのでしょう。Bは少年に対して次のように言いました。

 

「君が福祉の仕事を目指しているのなら、絶対に大学を辞めてはいけない。ちゃんと、大学を卒業しなさい。君がどうしても詫びたいと言うのなら、福祉の仕事について、社会に役立つ人間になりなさい。それが、D子や私に対するお詫びだと思って頑張りなさい。」

 

その言葉を聞いて、少年は泣き崩れたそうです。その場いた少年の父親や、Bの妻であるCも涙を流したそうです。(続く)(小出)

こば紀行#23 かぐらスキー場

このコーナーでは、浜松から日帰りで行けるプチ観光スポットをご紹介しています。

第23回目は春の雪山編第2弾、かぐらスキー場

5月なのにまさかの雪山編です。東名高速、圏央道、上越道を約6時間かけて来たのが新潟県湯沢温泉近くのかぐらスキー場です。上越道湯沢ICから15分程度、上越新幹線沿線近くと、浜松からでは微妙ですが、首都圏エリアからのアクセスは抜群です。

スキーシーズンは通常3月末で終わるところが多いのですが、GWまで営業しているところも稀にあります。とはいえ、そんなに雪があるものなのか?半信半疑ではあったものの、いざ訪れてみると5/5現在で未だ全面滑走可能、GW真っ只中のせいか予想以上の混雑ぶりでした。駐車場からロープウェイで標高600M付近まで上り、そこからさらにリフトで山頂付近を目指します。ウグイスのさえずりを聞きながら、新緑の木々の中をリフトで登る…標高1,800M超から風を切りながら斜面を滑る爽快感…まるで、アルプスの少女ハイジにでもなった気分で、疲れた日常と厳しい現実を忘れさせてくれます。

しかし、雪質はどっしりとした重めの雪で、かなり足腰に負担がかかります。さらに、午後にもなると、大勢の人が滑ったあとで全面コブ化したコースのため、足を雪に取られ、転んだ後に立ち上がる様は、クララのそれと同等か、それ以上の苦労を要します。そして、降りてくる頃には汗だくで、衰えた体力におっさん化した自分を感じ、厳しい現実を突きつけられます。

季節外れの運動のあとは、麓の湯沢温泉にゆったり浸かります。上越新幹線越後湯沢駅付近はちょっとした温泉街になっていて、こじゃれた飲食店も並んでいます。駅構内にも飲食店、お土産屋、さらには温泉施設まであるようです。私は温泉街にある釜飯屋でかき釜飯を頂きました。新潟産コシヒカリを炊き込んだ釜飯は絶品で、普通に温泉旅行でも十分楽しめそうなエリアです。かぐらスキー場も5/28までの営業ですので、片道6時間  掛かりますが、是非お試し下さい。(こばやし)

※こば紀行では現在、取材同行スタッフを募集しています(追加募集)。温泉好きのあなた(できれば20代後半~30代前半の彼氏のいない独身女性)、私と一緒にこば紀行しませんか?ご応募はコメント欄まで!

私の友人~4~

(前回の話)

私の友人~3~

事故から数日後、Bから連絡がありました。静岡県立子ども病院から一旦戻るので食事でもしないか、とのことでした。

5月3日、世間は浜松祭りでにぎわっていました。私とAは、とある居酒屋でBを待っていました。周囲はお酒が進んでいる様子でしたが、私とAは、とてもアルコールを口にする気分にはなれませんでした。しばらくして、Bが来ました。想像したような悲壮感は感じられず、むしろ冷静な様子でした。

私たちから話を切り出すことができない雰囲気を察してか、Bから話を振ってくれました。

 

事故の経緯は、以下のとおりです。

 

C(妻)とD子(2歳)ちゃんは、知り合いのお見舞いのため、聖隷三方原病院の前の道を歩いていました。そこに、左折をしてきた2人乗りのバイクが、バランスを失って転倒し、2人ともバイクから放り出されました。2人とも少年だったそうです。その放り出されたバイクが転がって、D子ちゃんの頭に直撃したとのことでした。周囲は騒然となり、すぐさま医者も駆けつけました。その医者が「うちでは処置できない。」とすぐさま判断して、ドクターヘリで静岡県立子ども病院まで運ばれたとのことです。

 

静岡県立子ども病院で担当した医師から、「五分五分だと思ってください。」と言われたそうです。さらに続けて「仮に命をとりとめたとしても、後遺症に関しては、かなりの高い確率で残ることは覚悟してください。」と告げられたとのことでした。D子ちゃんの様子は、事故の影響で脳が腫れているため、脳がむき出しの状態で低体温療法を受けているとのことでした。

Bは、取り乱すこともなく淡々とした感じで話していました。むしろ、私やAの方が悔しさを押し殺すことで精一杯の感じでした。Bが、ここまで冷静だったのは、次の言葉で理解できました。「俺の人生を懸けて、D子の面倒を見る。」

Bは覚悟を決めていたんだと、そのとき、私は知りました。

 

Bから報告を受け、私たちはその場を解散しました。翌日、Bは静岡県立子ども病院に戻りました。その後、病院でBは、ある人物と会うことになりました。バイクを運転していた少年とその父親です。(続く)(小出)

26年ぶりの再会

本木敦です。

皆さんはこの連休を如何お過ごしだっただろうか。

私は,浜松まつりに初めて参加した。浜松市民歴35年ではあるが「初めて」である。幼少の頃,私の地元は浜松まつりに参加していなかったし,両親も浜松まつりに消極的だった。過去,連休中に浜松にいれば,当然のようにラッパや独特のかけ声をきいていた。しかし,いつもそれは自分とは無縁のものであり,連休を彩る効果音の一つに過ぎなかったといえよう。

何故,私が浜松まつりに参加することになってしまったのか。それは,娘が地元のラッパ隊に入ってしまったからだ。

娘の勇姿を見るために,法被を買った。初めて着るものだったので気恥ずかしかった。それでも,法被を着て会所に出向くことになる。すると,不思議な連帯感が生まれる。これまで,外から眺めていた会所,自分とは関係の無かったものが,妙に近しいものとなる。

地元で初めて初子の施主の接待を受けた。その施主は私の中学の同級生だった。26年ぶりの再会を果たしたのである。

私は彼を見て,当時と何も変わってないな,と思った。彼は私をみてどう思ったかは分からない。たぶん,太ったとかそういう風に感じたことは間違いないだろう。

夜は遅くまでお酒を交わした。まさに旧交を温める時間だった。素晴らしい友達との再会は時間の経つのを忘れさせる。

連休中の何気ない一コマが,眩しく輝きを放った瞬間だった。

年金受給権は信託財産にできない!

以前、「年金の振込先でも前例の壁」との題名でブログを書かせていただきましたが、私の詰めの甘さを感じることになりました。

年金受給権は、法律上、譲渡することができないので、移転が伴う信託財産にはできないとする、ある書籍のコラムと遭遇。

(根拠:国民年金法24条、厚生年金保険法41条1項本文)

でも、これらの法律の趣旨は、本人の所得補償のためですので、受益者の利益のための制度である信託ならその趣旨と合致するのでは?

と思うところもありますが・・。前例ではなく、法律によってダメでしたね。任意後見とのコラボを考え始める今日この頃なのでした。

(名波)

第3条 受託者

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(受託者)
第3条 本信託の受託者は、次の者とする。
静岡県浜松市・・・・ B
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受託者を誰にするかはまさにケース・バイ・ケースなのですが、ここでは、障がいを抱えたお子さんの将来の生活を長期にわたりサポートできる方という観点で、健康な兄弟を想定しています。
もっとも、適任者がいないケースも少なくありませんし、障がいを抱えたお子さんとの年齢差が大きい場合、二次受託者の定めをしておく必要もありそうです。

このようなケースでは、受託者または二次受託者の成り手として新規で設立した一般社団法人を指定し、司法書士などの専門家が法人の理事に就任するなどの方法により継続性を担保することも考えられます。

こば紀行#22 遠州いちご狩り

このコーナーでは、浜松から日帰りで行けるプチ観光スポットをご紹介しています。

第22回目はこば紀行いちご狩り編第2弾

今回は国道1号バイパスを西へ約30分、大倉戸ICを降りてすぐの大倉戸観光農園へ行きました。以前にもご紹介したとおり(#15 R150沿線)、いちご狩りのシーズンはだいたい12月下旬~GWあたりまでです。時期によって値段が違い、シーズン終盤の今時分は1100円と大変お得でした。値段が終盤に向かうほど安くなるのは時期によって品質が違うからかとの疑問に、農園長(らしき人)が答えてくれました。農園長(らしき人)によると、品質は時期によってというよりも、週単位のもっと細かいサイクルで変わるとのことで、料金体系の変化はどちらかというと来場者数に関係があるそうです。

ここの農園では、同じハウス内で「あきひめ」と「紅ほっぺ」2つの品種を食べ比べることができます。味の違いは端的に、甘い方があきひめ、酸っぱいけどみずみずしい方が紅ほっぺで、パッと見の違いは左の丸っこいのが紅ほっぺ、右のやや細長いのがあきひめです。最初はいちごだけで食べ、飽きてきたらミルクをつけて…この食べ方でいくと、最初はより甘いあきひめから、後半は紅ほっぺにミルクをつけて食べるとかなりの量が食べられます。このGWで皆さんの食べ方を見つけてみて下さい。

いちご狩りだけではおそらく所要時間40分程度ですので、帰りのレジャーをどうしようかという方にお勧めなのが、浜名湖ガーデンパーク(B地点)。正直、私には退屈な場所でしたが、入場料無料、駐車場無料で、花と緑と散歩を楽しめます。そして何よりただただ広大です。元花博会場は、今は作りかけの2つ目のフラワーパークといった感じです。家族連れでピクニック利用ならありだと思います。

食事は雄踏にある麺屋「田力」(C地点)。看板にも書いてありますがタンメンが売り物です。モヤシ、白菜、キャベツ、キクラゲ等野菜をフライパンで炒め、少しニンニクの効いた塩味のスープに中細ストレート麺の組み合わせです。第一印象はそんなでもなかったのですが、最近は隔週ペースで行きます。(こばやし)

 

 

私の友人~3~

(前回の話)

私の友人~2~

「小出、ニュース見たか?」Aが何を伝えたいのか、瞬時に理解できました。私とAの友人であるBの妻(C)とD子ちゃん(当時2歳)は、よく顔を合せる仲でした。D子ちゃんが生まれた際には、Bから「ぜひ、Cを労って欲しい」との連絡が入り、誕生したその日に病室を訪れ、Cを見舞うと同時に生まれたてのD子ちゃんを抱っこさせて頂きました。

ニュースから私の頭に残った言葉は「聖隷三方原病院前」「交通事故」「Cが重傷」「D子ちゃんが重体」でした。Aとの会話で、翌日、集まれる人間だけ集まろうということで電話を切り上げました。

私とAと数名の友人が集まりました。AはBにメールで連絡をしたのですが、返信はなかったとのことでした。その他の者は、連絡を控えたとのことです。その場の雰囲気は、とても重いものでした。「重体」という言葉が、これほど残酷なものかと初めて知りました。とりあえず、その場で決まったことは、各々が連絡をすると、かえって迷惑になるだろうという意見を採用し、連絡担当者を決めることにしました。担当者をAにお願いし、Bに対して①Aがみんなの代表で連絡すること、②大変な時期に連絡する無礼を許して欲しいこと、③返信自体は無理にしなくても大丈夫なこと、を伝えてもらうこととなりました。

翌日、Aからメールが届きました。Bから返信があり、その内容は、①現在、静岡県立子ども病院で治療を受けていること、②Cは肋骨を数本骨折しただけだが、D子ちゃんはバイクの車輪が頭に当たり、意識が戻らず低体温療法を行っていること、とのことでした。

自宅でメールを見ていると、私の母も気にかけているようで「D子ちゃん、どうなの?」と尋ねてきました。私は、メールの内容を伝えた後「駄目かなぁ。」とつぶやくと、母は「馬鹿なことを言うんじゃない。」と烈火のごとく怒り、次のように断言しました。「D子ちゃんは絶対大丈夫!」

母は父とともに、小さいながらも自動車の整備工場を営んでいました。お客さんの中には、さまざまな事故に遇われた方もいました。そのような経験による母の主張は、①胴体部分の事故より、頭だけの事故の方が命をとりとめる可能性が高い、②子供は大人と違って、生きるという生命力が非常に強い、③お客さんの子供が高校生のとき、同じような事故で低体温療法をして命をとりとめ、最初の頃は後遺症があって高校を辞めざるを得なかったが、リハビリに取り組んだ結果、今では元気な子供も産んで普通に暮らしている、だから大丈夫というものでした。

医学的にも統計的にも何の根拠もない話でしたが、私にとって母の話はとても説得力のある話に聞こえました。(続く)(小出)