(前回の話)
事故から数日後、Bから連絡がありました。静岡県立子ども病院から一旦戻るので食事でもしないか、とのことでした。
5月3日、世間は浜松祭りでにぎわっていました。私とAは、とある居酒屋でBを待っていました。周囲はお酒が進んでいる様子でしたが、私とAは、とてもアルコールを口にする気分にはなれませんでした。しばらくして、Bが来ました。想像したような悲壮感は感じられず、むしろ冷静な様子でした。
私たちから話を切り出すことができない雰囲気を察してか、Bから話を振ってくれました。
事故の経緯は、以下のとおりです。
C(妻)とD子(2歳)ちゃんは、知り合いのお見舞いのため、聖隷三方原病院の前の道を歩いていました。そこに、左折をしてきた2人乗りのバイクが、バランスを失って転倒し、2人ともバイクから放り出されました。2人とも少年だったそうです。その放り出されたバイクが転がって、D子ちゃんの頭に直撃したとのことでした。周囲は騒然となり、すぐさま医者も駆けつけました。その医者が「うちでは処置できない。」とすぐさま判断して、ドクターヘリで静岡県立子ども病院まで運ばれたとのことです。
静岡県立子ども病院で担当した医師から、「五分五分だと思ってください。」と言われたそうです。さらに続けて「仮に命をとりとめたとしても、後遺症に関しては、かなりの高い確率で残ることは覚悟してください。」と告げられたとのことでした。D子ちゃんの様子は、事故の影響で脳が腫れているため、脳がむき出しの状態で低体温療法を受けているとのことでした。
Bは、取り乱すこともなく淡々とした感じで話していました。むしろ、私やAの方が悔しさを押し殺すことで精一杯の感じでした。Bが、ここまで冷静だったのは、次の言葉で理解できました。「俺の人生を懸けて、D子の面倒を見る。」
Bは覚悟を決めていたんだと、そのとき、私は知りました。
Bから報告を受け、私たちはその場を解散しました。翌日、Bは静岡県立子ども病院に戻りました。その後、病院でBは、ある人物と会うことになりました。バイクを運転していた少年とその父親です。(続く)(小出)