(前回の話)
「小出、ニュース見たか?」Aが何を伝えたいのか、瞬時に理解できました。私とAの友人であるBの妻(C)とD子ちゃん(当時2歳)は、よく顔を合せる仲でした。D子ちゃんが生まれた際には、Bから「ぜひ、Cを労って欲しい」との連絡が入り、誕生したその日に病室を訪れ、Cを見舞うと同時に生まれたてのD子ちゃんを抱っこさせて頂きました。
ニュースから私の頭に残った言葉は「聖隷三方原病院前」「交通事故」「Cが重傷」「D子ちゃんが重体」でした。Aとの会話で、翌日、集まれる人間だけ集まろうということで電話を切り上げました。
私とAと数名の友人が集まりました。AはBにメールで連絡をしたのですが、返信はなかったとのことでした。その他の者は、連絡を控えたとのことです。その場の雰囲気は、とても重いものでした。「重体」という言葉が、これほど残酷なものかと初めて知りました。とりあえず、その場で決まったことは、各々が連絡をすると、かえって迷惑になるだろうという意見を採用し、連絡担当者を決めることにしました。担当者をAにお願いし、Bに対して①Aがみんなの代表で連絡すること、②大変な時期に連絡する無礼を許して欲しいこと、③返信自体は無理にしなくても大丈夫なこと、を伝えてもらうこととなりました。
翌日、Aからメールが届きました。Bから返信があり、その内容は、①現在、静岡県立子ども病院で治療を受けていること、②Cは肋骨を数本骨折しただけだが、D子ちゃんはバイクの車輪が頭に当たり、意識が戻らず低体温療法を行っていること、とのことでした。
自宅でメールを見ていると、私の母も気にかけているようで「D子ちゃん、どうなの?」と尋ねてきました。私は、メールの内容を伝えた後「駄目かなぁ。」とつぶやくと、母は「馬鹿なことを言うんじゃない。」と烈火のごとく怒り、次のように断言しました。「D子ちゃんは絶対大丈夫!」
母は父とともに、小さいながらも自動車の整備工場を営んでいました。お客さんの中には、さまざまな事故に遇われた方もいました。そのような経験による母の主張は、①胴体部分の事故より、頭だけの事故の方が命をとりとめる可能性が高い、②子供は大人と違って、生きるという生命力が非常に強い、③お客さんの子供が高校生のとき、同じような事故で低体温療法をして命をとりとめ、最初の頃は後遺症があって高校を辞めざるを得なかったが、リハビリに取り組んだ結果、今では元気な子供も産んで普通に暮らしている、だから大丈夫というものでした。
医学的にも統計的にも何の根拠もない話でしたが、私にとって母の話はとても説得力のある話に聞こえました。(続く)(小出)