こば紀行#54 未来京都➁

このコーナーでは、浜松から日帰りで行けるプチ観光スポットをご紹介しています。

第54回目は未来京都②

京都は歴史と近現代が調和した街だ。数ある国宝級の歴史遺産を持ちながら、大都市としての側面も持ち合わせている。が、中には歴史の跡形もない未来の顔を覗かせてるものがある。

酢屋~

1721年(享保6年)材木商として創業。幕末当時は、6代目店主が龍馬と海援隊士を匿っていた。幕府、倒幕急進派の双方から命を狙われる身であった龍馬は、この場所から近江屋へと拠点を移すが、その3日後に暗殺されてしまう。危険を察し引っ越した先はもっと危険だった…という皮肉な歴史を持つ。2018年、酢屋は今なお同じ場所で、1階は木工芸品のショップ、2階は「ギャラリー龍馬」として商いを営んでいる。

~池田屋~

1864年(元治元年)、京都の治安を守るべく近藤勇率いる率いる新撰組は、当時旅館であった池田屋で、謀議を図っていた尊攘派志士20数名を襲撃した。壮絶な戦闘の末に、京都御所焼き討ちの企てを未然に防ぐことに成功する。新撰組がその名を上げた場所だ。2018年、池田屋はただの居酒屋へと変貌を遂げている。名前こそ辛うじて残っているものの、今のこの有様を近藤局長がご覧になられたら、怒り狂い襲撃するだろう。

~土佐藩邸跡~

戸時代初期、高瀬川のほとりに土佐藩邸が置かれ、幕末には龍馬のほか、武市瑞山や中岡慎太郎、後藤象二郎ら名だたる志士達がこの場所を拠点に活躍した。2018年、当時藩邸だったすぐ裏には、大人男子の秘密の部屋が用意されている。目覚ましい活躍をするには英気を養う必要があるのだろう。いかにもあらたま先生が好んで出入りしそうな場所だが、当時の志士達も今のこの環境を見たらさぞ喜ぶことだろう。

~近江屋跡~

1867年(慶応3年)12月10日、龍馬は京都河原町近江屋にて暗殺される。暗殺の直前、龍馬は軍鶏鍋を頼んだそうで、その龍馬が食べ損ねた軍鶏鍋を、私が代わりに食べるべくこの地に赴いた。2018年、この付近は京都でも屈指の繁華街である。当時の近江屋は跡形もなく、今はただの「かっぱ寿司」へと変貌を遂げている。これでは軍鶏鍋を食べられないではないか…僅かな希望を託し、店内へ入るもメニューに軍鶏の文字はない。また、近江屋は当時、土佐藩御用達の醤油屋だったそうで、ならば寿司の醤油は近江屋製だろう!期待するも、キッコーマン製であることに肩を落とす。

京都には数多くの歴史遺産がある。ガイドマップに記された以外にも、壮絶な歴史を持ちながら、平凡な未来へと変化を遂げた史跡が身近に転がっている。皆さんも是非、あなただけの未来京都を見つけて欲しい。(こばやし)

 

 

2018年3月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : trust