小さく始める。

民事信託の相談が少しずつ増えてはいますが、そうは言っても実際に民事信託の契約書作成に至る方はまだ少数だと思います。

確かに、財産管理は、今後の生活にも関わることですのである意味慎重に検討する必要があると思います。

一方で、使ってみないと具体的にイメージがわかないということも言えると思います。

そこでご提案なのですが、まずは、売却を控えている土地一筆についてのみや、将来の葬儀費用の管理のみ、といったいわゆるピンポイントでの活用を試してみられてたらいかがでしょうか。実際に活用してみるとその使い勝手等が実感することができます。まずは、小さく始めてみるのもの財産管理の選択肢を増やす一つの方法かもしれません。

(ななみ)

2018年3月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : trust

3月10日研修会を担当しました。

1講目 「信託と基礎と受任時における聞き取り方法」当グループ所属 本木敦

2講目 「契約条項から信託目録を起案してみよう」当グループ所属 中川紅子

3講目 「信託実務の盲点」当グループ所属 小林真人

今回の研修では、理論的なところから実務的なところまでを押さえ、民事信託を実践していただくことを目標としていました。

叶うがお届けした内容は、多くの会員の役に立ったと自負しております。

このような機会をいただいた静岡県司法書士会浜松支部にこの場を借りてお礼申し上げます。

文責:本木敦

2018年3月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : trust

3.11

数年前、法律相談の相談員として被災地を訪れたことがあります。1泊2日の日程でした。1日目は相馬市で、2日目は南相馬市でした。1日目は相馬市で宿泊し、2日目の朝、南相馬市に向けてレンタカーを走らせました。土曜日にも関わらず、道は自動車で混んでいました。早めに出発したおかげで、時間には間に合いました。

地元の司法書士が出迎えてくれて、お礼と労いの言葉をいただきました。いろいろな話をしている中、私が「土曜日にも関わらず、道が混んでるところを見ると、賑わいも取り戻し始めたんですかね。」と言うと、地元の司法書士は「それは、原発に向かう作業員の車ですよ。」と答えました。

その司法書士は、すぐさま別の話題を振って会話を続けましたが、私は無神経な発言をしてしまったと、強く後悔しました。

 

7年経過しても、避難生活を送っている方がいらっしゃいます。3.11はいまだ現実として存在しているんだと、あらためて認識しました。(小出)

2018年3月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : trust

こば紀行#54 未来京都➁

このコーナーでは、浜松から日帰りで行けるプチ観光スポットをご紹介しています。

第54回目は未来京都②

京都は歴史と近現代が調和した街だ。数ある国宝級の歴史遺産を持ちながら、大都市としての側面も持ち合わせている。が、中には歴史の跡形もない未来の顔を覗かせてるものがある。

酢屋~

1721年(享保6年)材木商として創業。幕末当時は、6代目店主が龍馬と海援隊士を匿っていた。幕府、倒幕急進派の双方から命を狙われる身であった龍馬は、この場所から近江屋へと拠点を移すが、その3日後に暗殺されてしまう。危険を察し引っ越した先はもっと危険だった…という皮肉な歴史を持つ。2018年、酢屋は今なお同じ場所で、1階は木工芸品のショップ、2階は「ギャラリー龍馬」として商いを営んでいる。

~池田屋~

1864年(元治元年)、京都の治安を守るべく近藤勇率いる率いる新撰組は、当時旅館であった池田屋で、謀議を図っていた尊攘派志士20数名を襲撃した。壮絶な戦闘の末に、京都御所焼き討ちの企てを未然に防ぐことに成功する。新撰組がその名を上げた場所だ。2018年、池田屋はただの居酒屋へと変貌を遂げている。名前こそ辛うじて残っているものの、今のこの有様を近藤局長がご覧になられたら、怒り狂い襲撃するだろう。

~土佐藩邸跡~

戸時代初期、高瀬川のほとりに土佐藩邸が置かれ、幕末には龍馬のほか、武市瑞山や中岡慎太郎、後藤象二郎ら名だたる志士達がこの場所を拠点に活躍した。2018年、当時藩邸だったすぐ裏には、大人男子の秘密の部屋が用意されている。目覚ましい活躍をするには英気を養う必要があるのだろう。いかにもあらたま先生が好んで出入りしそうな場所だが、当時の志士達も今のこの環境を見たらさぞ喜ぶことだろう。

~近江屋跡~

1867年(慶応3年)12月10日、龍馬は京都河原町近江屋にて暗殺される。暗殺の直前、龍馬は軍鶏鍋を頼んだそうで、その龍馬が食べ損ねた軍鶏鍋を、私が代わりに食べるべくこの地に赴いた。2018年、この付近は京都でも屈指の繁華街である。当時の近江屋は跡形もなく、今はただの「かっぱ寿司」へと変貌を遂げている。これでは軍鶏鍋を食べられないではないか…僅かな希望を託し、店内へ入るもメニューに軍鶏の文字はない。また、近江屋は当時、土佐藩御用達の醤油屋だったそうで、ならば寿司の醤油は近江屋製だろう!期待するも、キッコーマン製であることに肩を落とす。

京都には数多くの歴史遺産がある。ガイドマップに記された以外にも、壮絶な歴史を持ちながら、平凡な未来へと変化を遂げた史跡が身近に転がっている。皆さんも是非、あなただけの未来京都を見つけて欲しい。(こばやし)

 

 

2018年3月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : trust

何でも信託!?

先日、母親の家族信託について相談したい、という方のお話を伺いました。

 

お話の内容としては、

・現在は母親は元気で意思能力も問題ないが、高齢なので認知症が心配

・資産は預貯金と自宅の建物(自宅の土地は相談者名義)

・母親としては、自分が亡くなった場合の遺産は子供たちで相談して分けてくれればよいと思っている

(特に『誰に何を残したい』『自宅の建物を継いでほしい」などの意思はなく、自分が亡くなったら子供が好きに処分していいと思っている)

・母親は自宅で一人暮らし。子供はそれぞれ家があり、実家に戻ることはない。

・子供たちの中では、母親が亡くなったらどう相続するかは何となく話し合っており、相続でもめることはなさそう

 

というものでした。

 

母親の収入は年金のみだそうですが、多額ではない(相談者曰く)が預貯金があり、

出費も多くないので、生活としては成り立つそうです。

 

ここまで聞いて、正直『信託する』必要はないのではないか、と思いました。

 

特別に管理しなければならない(管理が大変な)財産があるわけでもなく、

財産の承継が難しそうな特別な事情もなく、

本人(母親)が「財産をこのように承継したい」という意思があるわけでもないからです。

 

別に『信託』せず、通常通りの財産管理を母親が行い、

もし認知症になったら『成年後見制度』を利用すればよいのではないかと思い、

その旨を相談者にお伝えしたところ、

 

『だって、成年後見制度って面倒くさいんでしょう?』

『お金が動かせなくなるって聞いた』

『家族が自由にできないんでしょう?』

と言われてしまいました。

 

巷で『成年後見制度』『家族信託』が話題になる一方で、

こういった誤解が多くなった気がします。

 

『家族信託』しても、家族が勝手に母親のお金を何にでも使えるわけではありませんし、

『成年後見制度』を使っても裁判所にお金を取り上げられたり、お金が使えなくなるわけではありません。

 

相談者の方は、メディアで認知症対策として『信託』が取り上げられたのを見て、

とりあえず『信託』しておけば家族が困ることはない、と思ったそうです。

 

高齢化が進む日本で、財産管理の方法として『信託』は有効な手段の一つではありますが、

親に『信託』させて家族が好きに使う、という構図になってならないと思います。。

 

2018年3月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : trust

モデル契約書にご意見をお寄せください!

前回までの分で、モデル契約書のご紹介は完了しました。
事案を積み重ねながら試行錯誤を繰り返す発展途上の契約書ですが、机上の空論ではなく、実務家がプロデュースする地に足の着いた、かつ利用者にとっても使い勝手の良い契約書としてさらに改良を続けていきたいと考えています。

読者の皆さんからの忌憚ないご意見が頂戴できれば幸いです。

(中里)

民事信託はお元気なうちに!

先日、知り合いの保険業界の方から、「民事信託の関連で、受託者が不動産を売却したところ、それを覆すために裁判になったケースがあるらしいですよ」という話をお聞きした。

それをお聞きした私が想像したのは、そもそも受託者が権限外の行為をしたか信託契約そのものに問題があったかのどちらかということです。

おそらく、受託者が権限外行為として売却することはあまりないと考えます。信託の登記にも受託者の処分権限が記載されるので、それに従って売却が行われた可能性は高いと思います。

とすると、そもそも信託契約に問題があったのかもしれません。一番可能性が高いのが、委託者の契約時の判断能力の問題です。民事信託のご相談をお受けいていると、「親が認知症の可能性がでてきているので、今のうちに財産を移してほしいのですが・・」という内容のご相談がときどきあります。

そうした場合には、成年後見のお話をしっかりとさせていただくのですが、潜在的にそういう状態のときの選択肢の一つとして民事信託が選ばれている可能性があると感じるときがあります。

結局、私がお聞きした裁判のお話の背景は想像するしかないのですが、いずれにしても、委託者の判断能力をはじめ、信託行為の一つ一つ丁寧に向き合う必要性をあらためて感じさせてくれるお話でした。(ななみ)

2018年3月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : trust

ゴートゥカトマンズ(4)

上海での二日間は,とても新鮮なものだった。

ケンタッキーは「肯徳基」,マクドナルドは「麦当労」などと表記されている。中華料理に入るときは緊張した。メニューをみても何の料理がよく分からない。チンジャオとかマーボーといった著名な料理は分かるものの,軽はずみな冒険心を起こしてしまったばかりにとんでもない料理とつきあわなくなってしまうとも限らない。私の正体は貧乏学生であったし,金欠のリスクを犯すことはできなかった・・・無難なところで注文するのではあるが,どの料理もおいしかった。

海外で注意しなくてはならないのは水。水道水などをうっかり飲んでしまうと激しい後悔に悩まされることになる。幸いにも私は大きな事故は起こさなかったが,仲間は早速被害に遭っていた。

上海の二日目の朝,私は一人で散歩をした。およそ不思議な光景であったと記憶している。

我々世代が若い頃によく見た中国の映像は,舗装された道路に自転車に乗る大勢の人々ではないかと思うが,まさにそんな感じ。この国の移動手段は自転車が主なのかと思った。次は上海から内陸部に移動する電車の中のでの出来事を紹介しよう。

 

文責:本木敦

 

2018年3月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : trust

遺言について~完~

前回は遺留分の割合について話しました。

では、この遺留分はどうやって実現するのでしょうか。

例として、夫が遺言で第三者に財産の全てをあげたとしましょう。この場合、配偶者である妻の法定相続分は2分の1です。そして遺留分は法定相続分の2分の1ですから4分の1ということになります。この4分の1を第三者に対して請求するだけでいいのです。第三者の承諾は関係ありません。なお、このような請求を「遺留分減殺請求」といいます。

このように、遺言に不満があれば相手方に請求することができるのですが、注意していただきたいのは、請求する期間が制限されているということです。スライドに書かれているように相続の開始及び減殺すべき贈与又は遺贈があったことを知った時から1年、相続開始後10年となります。ご注意ください。

 

全9回にわたって、いろいろと話しましたが、最後に3点だけ復習として確認します。

一つ目は、遺言は元気なうちに作成してください。

二つ目は、遺言は公正証書遺言をお勧めします。

三つ目は、遺留分を意識した遺言を作成してください。

遺言がないばっかりに、相続に関する紛争が解決しない家族もたくさんいらっしゃいます。遺言はご家族への最後のメッセージにもなります。是非、ご検討ください。(小出)

2018年3月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : trust

こば紀行#53 未来京都①

このコーナーでは、浜松から日帰りで行けるプチ観光スポットをご紹介しています。

第53回目は京都編その1

古都として、観光都市として、あまりに偉大すぎて今さら私ごときが紹介するまでもないのだが、あくまでも私ならこう見るという視点でこの街のスポットを紹介させて頂く。

~京都駅~

京都の玄関口でもあるこの駅は、1997年に現在の駅ビルが完成。巨大な吹き抜け空間と延々と続く大階段、ガラス張りの外観は未来志向のデザインに溢れている。新しいものと歴史あるもの、2つが調和をもって共存するこの街を象徴する建物だ。そして、何よりも素敵なのが、エスカレーターで10階まで行くと「京都拉麺小路」という全国各地の有名店が集結したラーメン街がある。たぶん、東京ラーメンストリートよりクオリティは高い。いずれまた別枠で特集したい。

~本能寺跡~

1582年、明智光秀の謀反により天下統一目前の織田信長が焼き殺されてしまった地。その後、寺は別の場所に再建、光秀が放火を働いたこの場所は、今は京都市本能地区の消防分団の建物となっているのは歴史の皮肉だろうか。寺を焼失させてしまった過去の教訓を生かし「火の用心」なるポスターまである。が、1582年当時の信長公は、火の用心レベルの用心では、もはやあの悲劇を避けることはできなかっただろう。そう思うと、閑静な住宅街にあるこの普通の建物にも歴史の重みを感じる。

~清水寺~

いわずと知れた修学旅行の鉄板ルート。例外なく中坊こばやしもこの地を訪れている。で、当時からあったのか?全く気付かなかったが、清水の舞台のすぐ裏に「地主神社」なるものがあり、縁結びの神様として祭られている。入口があまりにベタすぎて、40超えたおっさんが1人で行くにはかなり抵抗がある。同年代で入れるのはあらたま先生だけだろう。取材だと割り切り意を決して飛び込むが、周囲は未成年と覚しき方ばかり…怪しまれる前にそそくさと引き返す。私も修学旅行当時にこの場所の存在に気付いていれば、今という未来が変わっていただろう。「今年こそ良縁を」の文字がグサッとくる。

~霊山護国神社~

今回の京都紀行のテーマは実は坂本龍馬にまつわる地を巡るというもの。この神社には龍馬を始め、木戸孝允や中岡慎太郎など数多くの幕末の志士達が祀られている。境内には歴史館も併設されており、幕末の動乱期に思いを馳せることができる。が、なぜか入口箇所に→のようなガチャガチャが配置されている。連合艦隊…海援隊の未来ということか?

京都は歴史と近代が調和した街だ。古都京都としての重厚さを残しつつ、近未来的な側面も持ち合わせている。次回、こばやしはそんな京都の未来志向な側面を、龍馬にまつわる史跡の中で目の当たりにすることとなる。 (つづく)

 

 

 

2018年3月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : trust