このコーナーでは、浜松から日帰りで行けるプチ観光スポットをご紹介しています。
第42回目はこばの城攻め編第4弾、高天神城
高天神城は掛川市南部に位置し、戦国時代には徳川氏と武田氏との間で激しい攻防戦が繰り広げられた。標高132メートルの小さな山城だが、山自体が急斜面な上に、曲輪が効果的に配置されたことで「難攻不落の名城」として知られた。遠州を制するにはこの高天神城を陥落させる必要があり、1574年、武田勝頼は実に2万5000の大軍をもってようやくこの城を攻め落とした。父・信玄も成し得なかった高天神城攻略を果たしたことで、勝頼の名声は一気に高まった。
しかし、1575年の長篠の戦いで武田軍が織田・徳川連合軍に大敗を喫すると、遠州でも徳川方の反攻が始まる。家康は高天神城を囲むように付城や砦を築いて兵糧攻めを行い、高天神城城主岡部元信は勝頼に援軍を求めるも、当時の武田方は西は織田・徳川、東は北条と敵対していてとても援軍を出せる状況になかった。そして、この兵糧攻めにより城兵の大半が餓死、1581年3月、ついに岡部元信は城兵を伴って城から討って出るも全滅した。援軍要請にもかかわらず半ば高天神城の兵を見殺しにする形となったことで、勝頼の威信は一気に失墜、翌年、多くの家臣の裏切りにより武田家は滅亡する…
武田家の栄枯盛衰を感じながらハイキングした後は、御前崎市役所前にある「がっこーにいこう!」で腹ごしらえ(B地点)。以前、同職の本木さんにご紹介頂いた場所で、昔懐かしの学校給食を味わうことができる。店内座席は全て学校にあった机と椅子で取り揃えられていて、黒板にはオススメメニューが書かれている。そして、店員は店長らしき人を「先生」と呼ぶ。雰囲気はまさに学校そのものだ。学級日誌と書かれたメニューを開くと、私が大好きだったソフト麺がある、値段は500円、迷わずこれを注文した。因みに私の記憶にあるソフト麺はミートソース味だが、ここではカレーソースや肉みそ、タンタンめんも選択可能だ。どれもそそる。
ソフト麺を待ちながら30年以上も昔の思い出に耽っていると、店員さんが画用紙とクレヨンを私の机に置いた。店員「今月の学校行事は写生大会です。好物を絵に描いて下さい。」私「え。。」周囲は若者のグループばかり、ただでさえ40過ぎのオッサンの1人食事が憚られる。その上にこのハードルの高い課題と来たもんだ。悩み抜いた挙げ句、小学生当時、私が大好きだった人物画(宇宙人)→を記した。私が知る名古屋弁のほとんどはこの大王様から教わったものだ。とりわけ有名な名言「地球(ちたま)を征服するだがや」…地球征服はなし得なかったが、この大王様であれば高天神城の征服ぐらいはたやすかったように思う、だがや。(こばやし)